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古から伝えられる丑の刻参り・行方

 

呪いを依頼する方々へ。

 

呪い玉では、西洋魔術・丑の刻参り代行、双方の呪術代行が可能となります。西洋魔術(黒魔術・白魔術・召喚魔術)をご依頼の場合は「上部ヘッダメニュー」よりご依頼ください。

日本古来の魔術・丑の刻参り。藁人形を用いる呪いや願掛けなど、様々な用途で施術され続けている東洋魔術、施術するために必要な知識を公開しています。

 

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丑の刻参り作法

 

作法@

「貴船の内外座は、山尾よ川尾よ、奥深吸葛、白石白髭白専女 黒尾の御前はあはれ内外座や」御白河法皇御撰の「梁塵秘抄」に採録された貴船の和歌である。貴船神社の末社群の名称を並べその神々を賛嘆している歌である。 貴船神社の呪咀神としての信仰は、すでに平安中期には成立していたことは藤原実資の日記「小右記」(1024)の悪女によるたくらみや、「栄花物語」にみられる藤原頼通の病気が貴船の呪咀が原因だとする記事によって明らかである。

鎌倉後期にはさらにそれが強力な魔力を加え「平家物語」剣巻の「宇治の橋姫」の物語でフィクション化され、そして室町後期、ついに謡曲「鉄輪」として結実し、人々の胸に強く印象づけられた。この事は、貴船神社にとつて誤った信仰を生む結果となった。

 一般に丑の刻参り(呪い)とは、白い着物を着け、髪は乱し、顔に白粉、歯には鉄漿、口紅は濃くつけ、頭には鉄輪をかぶり、その三つの足にローソクを立てて灯す。 胸には鏡を掛け、口には櫛をくわえる。履き物は歯の高い足駄とされる。そして寺社の古い神木に憎むべき相手をかたどったワラ人形に五寸釘を金槌で打ち込む姿が典型的な作法とされている。 そして人に見られる事なく七日間丑の刻参りを行い帰る途中に黒い大きな牛が行く手に寝そべっていると、それを恐れることなく乗り越えて帰るとみごと呪いが成就すると云う。


 

作法A

                                                                                        

この丑の刻参りの原形とされているのが、「宇治の橋姫」の伝説である。この伝説が、最初に見えるのは屋台本平家物語の劔巻上においてのようである。 それによると、嵯峨天皇の御世、嫉妬深い公家の娘が、呪詛の神として名高い貴船神社に七日間籠り、「願はくば生きながら鬼に成し給へ、妬ましと思はん女を取り殺さん」と祈ったところ、「鬼に成りたくば姿を改めて宇治の河瀬に行きて三十七日浸るべし」と貴船の神の示現があった。

女は喜び、さっそく長い髪を五つに分けて松やにを塗り固め角を作り、顔には朱をさし、身には丹を塗り頭には鉄輪を頂きて、松明に火をつけ口にくわえ夜更けの大和大路を南に走り去ったと云う。 女はこの後鬼となり、「妬まし思う女の縁者、我をすさめし男の親類」等を殺してしまう。これは生きながら鬼に成る作法である。

 この物語は、やがて謡曲の「鉄輪」へと発展していく。下京あたりに住むある男が妻を捨て、後妻を迎えた。それが妬ましさに、先妻は貴船の宮に丑の刻参りをする。 その晩貴船神社の社人は、都から丑の刻参りする女に、かくかく申せとの不思議な夢を見る。女が貴船につくと、社人は、汝が願いは鬼になりたいことであろうと、その方法を教える。 「家に帰り、身には赤い衣を着け、顔には丹を塗り、頭には鉄輪を戴き、三つの足に火をともし、心に怒を持つならば忽ち鬼神となることが出来よう。」との神のお告げを教える。

女は、人違いでありましょうというが、社人はしかと汝の事だ、こう申す内何となく恐ろしく見えて来たと云う。女は不思議なお告げに感じ入り、早速家に帰り、夢想の如く致して見ようと云う。 こう云ったかと思うと、はや色が変わっていった。一方、彼の男は、打ち続き悪夢を見るので、堪えかね、陰陽師阿部晴明を訪ねて行く。晴明は一見して、これは女の深い恨みから来ている。 命も今夜限りであろうと判じる。男は痛く驚き、切に祈祷を乞う。晴明はそこで祭壇に茅の人形を飾りそれに夫婦の名を打ち込み、一心に祈る。この時、かの女の生霊が鬼形となって現れて来る。 生霊は祭壇の男の人形に向かって恨みを述べ、後妻の人形を打ちさいなみ、更に男を取って行こうとするが、祭壇に祀られた三十番神に責め立てられて力及ばず、時節を待とうと云いながら、目に見えぬ鬼となって消えて行く。


 

作法B

以上が丑の刻参りの原形とされる宇治の橋姫の物語と謡曲鉄輪であるが、しかし、橋姫の物語にも鉄輪も一般的にイメージしている丑の刻参りの作法とは違う。なぜなら丑の刻参りに欠かせないワラ人形や五寸クギは出てこないからである。

 「日本の呪い」の著者小松和彦氏によれば、奈良時代に呪禁道の「厭魅」として流布したものが、民間レベルでは、陰陽師が呪詛の時に敵に見立てた「人形祈祷」と関係をもち、それを丑の刻参りの作法のなかへと入りこんだものがワラ人形であり、社寺の神木や社殿、あるいは神像、仏像にまで釘を打ち込み、神仏を痛めつけてまで呪咀の願いをかなえてもらおうとする「呪い釘」による呪咀法が五寸釘へと結実していったのだと云う。 また丑の刻(午前1時〜3時)とは人が鬼へ変身したり、鬼の出現する時刻であると云う。古来丑寅を「鬼門」すなわち鬼が侵入してくる方位だとした陰陽道の考え方が根底にあり、いつしか方位よりもそのおどろおどろしい面が強調されたのであろう。

こうして江戸時代には、今日の一般的なイメージとして定着している丑の刻参りの呪咀法が完成していく。 今でも貴船神社奥宮の参道の大木に、時折ワラ人形に五寸釘が打ち込まれている事がある。 人を呪わば穴二つ、貴船神社の本来の信仰は、かの和泉式部が当社に参拝し、ちぢに乱れる思いを和歌に詠んだところ、貴船明神から賜ったお返しの和歌に凝縮される。

曰く奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかり物なおもいそと。 この「玉ちるばかり物なおもいそ」の清明なる信仰こそ貴船神社の本来の信仰であり、当社にとって、本当の丑の刻参りとは、貴船明神が貴船山に御降臨になられたのが「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」であったということから心願成就の参拝方法であったのである。 このことをくれぐれも強調しておきたい。


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