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丑の刻参りの全て

 

呪いを依頼する方々へ。

 

呪い玉では、西洋魔術・丑の刻参り代行、双方の呪術代行が可能となります。西洋魔術(黒魔術・白魔術・召喚魔術)をご依頼の場合は「上部ヘッダメニュー」よりご依頼ください。

丑の刻参りの全てを紹介しています。方法や作法は元より、実施する時間帯など、個人でも実施するに十分な内容ですが、けして実施はしないでください。恐ろしい呪い返しの餌食となります。

 

18歳未満の方には好ましくない内容を含んでおります。18歳以上の方で上記内容にご理解頂けます方のご依頼のみお受け致します。


 

丑の刻参りの方法と場所

 

丑の刻参り(うしのここまいり、うしのこくまいり、うしのときまいりとも)とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むという、日本に古来から伝わる 呪術の一種である。有名な神社としては、京都府の貴船神社や岡山県の育霊神社などがある。 この丑の刻参りは古くからあるようで、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」に登場する。「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」とある。「宇治の橋姫」と呼ばれる女性が、現在伝わる丑の刻参りと似た方法で、怨みをはらすため鬼になりたいと願をかけ、願いを成就させている。

この時に宇治の橋姫が丑の刻参りを行ったのが、当時、心願成就・呪咀神信仰で有名であった貴船神社である。 しかし、この話に登場する宇治の橋姫は、五寸釘や藁人形を用いておらず、現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、室町時代に成立した謡曲(能の詞章・能の詞章だけを謡う芸事)「鉄輪」において、陰陽道の人形祈祷(きとう)と丑の刻参りが結びついたためという説が有力視されている。


 

丑の刻参りの行法

 

丑の刻参りの方法は江戸時代に完成した方法を基本的な部分では踏襲しているものの、細かい部分では、藁人形に呪いたい相手の体の一部(毛髪、血、皮膚など)や写真、名前を書いた紙を入れる必要があったり、丑の刻参りを行う期間に差があったり、打ち付けた藁人形を抜かれてはいけないと地方・伝わり方で違いがあり、呪うために自身が鬼になるのではなく、五寸釘を打った藁人形の部位に呪いをかけることができるという噂が広く知られるなど、現代では少し変化している。

一般的な描写としては、白装束を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭に五徳(金属製のものなら何でもいいという説もある)をかぶってそこに蝋燭(ロウソク)を立て、一本歯の下駄を履き、神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むというものが用いられる。 呪いの効果については、実際に呪われたという人はいるものの科学的に実証されたわけではなく、誰かが自分を呪っていると認識することで、自己暗示にかかってしまい、呪われたと感じるため(マイナスプラシーボ効果)であって気にしなければ何も起こらないという研究結果もある。


 

丑の刻参りに関する言い伝え

 

鉄輪(かなわ)とは昔、火鉢の中に置いた五徳のことで、鉄の輪に 三本の足を付けたものです。ヤカンなどを乗せて湯を湧かす為の ものですが、この鉄輪を逆さまにしてその足にロウソクを結びつけ、 火をつけたそれを頭に乗せ、白装束、髪を振り乱し、白化粧、濃い口紅、 口には櫛をくわえ、胸には鏡を提げ、丑の刻に貴船神社に参り杉の 大木に添えた藁人形に五寸釘を打ち込み呪う… これが今に伝わる丑の刻参りの姿ですが、この原型は「宇治の橋姫」 伝説にまで遡るようです。

宇治の橋姫は悪阻(つわり)に苦しんでいた ので、夫に「七尋(ひろ)のワカメを海で獲ってきて下さい」と頼みます。 しかし、海に出かけた夫は美しい龍神に囚われてしまいます。 会うことも叶わなくなった橋姫は憎い龍神を呪うことを考え、 その頃、心願成就で知られた貴船に参詣し「私を鬼に変身させてほしい、 そして憎い龍神を呪いたい」と祈願すると、貴船の神は「髪を松ヤニで 固め角を作り、その先に火を灯し、鉄輪を被って、三本の松明を持ち、 宇治川に二十二日間浸りなさい」とお告げがあり、そのお告げの通り 一心不乱に宇治川に浸った橋姫は鬼になったと伝わります。 この伝説が最初に登場するのは「屋代本平家物語」、いわゆる学校で 習う表の平家物語に対する裏の平家物語です。

この物語は室町時代になると謡曲「鉄輪」として登場します。下京に住む男が後妻を迎えたことを妬み、先妻は後妻に対しての呪いを考え、貴船に参詣し、「赤い布を裁ち切り身にまとい、顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ロウソクを灯せば鬼となる」と橋姫伝説と同じような神のお告げを受けます。一方の下京の男は先妻の鬼と化した悪夢に悩まされ、安倍晴明の元を訪ねます。晴明は人形(かたしろ)をもって祈祷を続け、鉄輪の 女と対決し、やがて晴明の呪術が勝り、鬼は消え失せます。こんな話が謡曲「鉄輪」では語られます。

橋姫伝説、謡曲「鉄輪」、どちらも多少、部分的な違いはあるにせよ、基本スタンスは 変わらない話のようです。 橋姫伝説においては、「橋姫」は元来は水辺、特に橋の守り神とされます。宇治には 橋姫神社がありますが、今は少し宇治橋から離れてはいますが、元々は宇治橋のたもとにあったと云います。

また宇治橋に限らず古来の橋には橋を守る一角、祠が設けられたりしていたようです。 その昔ではその橋姫を鬼と化し何かを伝えようとしたものでしょうか。一方の謡曲「鉄輪」は安倍晴明伝説を作り上げる過程で、橋姫伝説に目を付けて、ちょっと話をお借りしたってところでしょうか。 ここまでで気付かれたでしょうか、藁人形を五寸釘で打ち込むって話は登場しないのです。の五寸釘の話が登場するのは時代も経て世の中が文化としても成熟してくる江戸時代の話です。

今では全てが混同され貴船神社と丑の刻参りが 結びつけられたりしますが、その発端が貴船の 神に心願成就のご利益が備わっていたことと 森も深い神秘的な貴船と云う地がそうさせたの でしょうね。 ちなみに五寸釘が打ち込まれた跡は縁結びで 有名な地主神社にも残ります。 傍らには 「おかげ明神」と云う小さな祠があり、 一願成就、ひとつだけ必ず願いがかなう神様が 祀られています。

その祠の背後には「いのり杉」、「のろい杉」 とも云われる杉があり、無数の丑の刻参りの 五寸釘の痕跡が残ります。 また、下京区の鍛冶屋町には鉄輪の女が住んで いた所と伝わる場所があり、今はお稲荷さんと 一説には鉄輪の女が身投げしたとも伝わる 鉄輪の井戸が残っています。 このため「縁切り井戸」と云われることも あったりします。 昔は鉄輪を埋めた鉄輪塚も 残っていたそうです。今では江戸時代までの 地名は鉄輪町、でも縁切りにまつわることを 嫌って地名は鍛治屋町になり、縁結びの お稲荷さんが祀られることになりました。 何処も縁切りと縁結びは表裏一体のようです。

 

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